調査・コラム

【探究コラム】オンカロ ― 40年かけて、退路を断った国

10月22日、フィンランド政府が、原発から出る使用済み核燃料の最終処分場「オンカロ」に操業許可を出した。使用済み核燃料の処分場が操業許可を得るのは、世界で初めてだ。

多くの国で結論が出ていないこの問題を、なぜフィンランドは決められたのか。原子力の是非ではなく、その「決め方」から考えてみたい。

地下施設の縦穴を見上げた写真
オンカロの地下施設(写真:Posiva)

オンカロとは

オンカロは、フィンランド西部エウラヨキ町のオルキルオト島にある。フィンランド語で「洞穴」を意味する。

森に囲まれたオンカロの地上施設と、奥に広がる海
オルキルオト島にあるオンカロの地上施設。奥にボスニア湾と森が広がる(写真:Posiva)
首都ヘルシンキとオンカロの位置を示した地図
オンカロの場所。首都ヘルシンキから北西へ直線で約220キロ(地図データ:Natural Earth)

原発で使い終えた燃料を、地上の施設で鋳鉄と銅の二重の容器に封じ込める。それを地下400メートルあまりまで運び、岩盤に掘った穴に入れて、水を含むと膨らむ粘土で包む。最後は坑道ごと粘土で埋め戻し、閉じる。岩盤は約19億年前にできたもので、地震はほとんど起きない。

地下の坑道の写真
地下の坑道(写真:Posiva)

放射能が十分に下がるまで、閉じ込める期間は10万年以上。閉じたあとの安全は、人の手入れに頼らないように設計されている。2000年の政府の原則決定は、長期の安全に施設の継続的な管理を必要としないとする一方で、必要なら容器を取り出せる可能性も残すとした(国会は2001年に承認)。

今回の許可は2070年末まで。ただし、埋設はまだ始まっていない。試運転と検査を終え、放射線・原子力安全庁(STUK)の判断を経てからになる。早ければ来年にも開始の見通しだと報じられている。

40年かけて、退路を断った

フィンランドの判断は、一度の大きな決断ではなかった。40年かけて、自分たちの退路を一つずつ断っていった結果だ。

  • 期限を切った(1983年)。 長期間の仮置きを処分の方法として退け、2000年末までに処分地を選ぶと決めた。「いつか考える」を消した。
  • 費用を先に積んだ(1988年〜)。 電力会社は、発電した時点から処分費用を国の基金に払い込んでいる。2024年末で約31億ユーロ。後の世代に費用を回さないための仕組みだ。
  • 外に出す道を閉じた(1994年)。 それまで一部の使用済み核燃料は、ソ連、のちにロシアへ送り返していた。法律を変えて、核廃棄物の輸出も輸入も禁じた(ロシアへの最後の搬出は1996年)。EU加盟を前に、「外国のごみ捨て場になる」という不安もあった(コヨ氏ら、2022年)。これで、国外に出すという選択肢はなくなった。
  • 地元が拒否できる手続きを通した(2000〜2001年)。 計画は、政府の決定、受け入れる町の同意、国会の承認を全部通らないと進まない。エウラヨキ町議会は20対7で同意し、国会は2001年に159対3で承認した。

輸出入の禁止に賛成した緑の党は、「それなら国内で解決する義務がある」として、処分場計画にも賛成した。一つ閉じるたびに、次の一歩が避けられなくなっていった。

なぜ、それができたのか

規制する側が信頼されていた。 OECD原子力機関の報告やリトマネン氏らの研究は、成功の理由として、規制当局への信頼、段階を踏む決め方、合意を重んじる政治文化を挙げている。国の政府への信頼も高い。政府を信頼する人は47%で、OECD平均の39%を上回る(2024年公表のOECD調査)。

「自分の国で責任を持つ」が支えになった。 研究者のコヨ氏らは、この約束そのものが、原発を動かし続ける正統性を支えてきたと論じている。その見方に立てば、電力の約4割を原子力に頼る国にとって、処分を決めずにおく余地は小さかった。

ただし、無条件ではない。 処分場について語る地域の人たちの落ち着いた声の中には、諦めに近い響きもある。公共放送Yleの街頭取材(2026年8月)で、近隣の町の男性は、常識で考えればリスクは小さく、ほかに現実的な選択肢もないと語った。政府への信頼も、2021年から14ポイント下がった。安全性にも異論がある。米国の科学者団体「憂慮する科学者同盟」のライマン氏は、銅の容器もいずれ腐食するとAP通信に指摘している。その速さをめぐっては、専門家の見方が分かれている。

1480年の聖書と、処分場 ― 過去を手放さない町

処分場を引き受けたエウラヨキは、人口約9,000人、海に面した町だ。1970年代から原発があり、実は1993年までは処分に反対していた。町には原発関連の税収が入り、固定資産税だけで年約1,630万ユーロ(2016年)にのぼる。1999年には、1930年代から町が所有するヴオヨキ荘園を事業者ポシバ社に貸し、ポシバ社が町の新しい高齢者センターの建設資金を負担する協定も結んでいる。ポシバ社は2000年代初めに荘園の修復資金も出し、約20年間、主な借り手だった。2023年に借りるのをやめた今も、荘園は町のものだ。

それでも住民を対象にした研究(カリ氏ら、2010年)では、受け入れを後押ししたのは、お金より、原発のある暮らしへの満足感だった。内陸の候補地(クフモ、アーネコスキ)では反対が強かった。同じ町でも、別の電力会社(フェンノボイマ)の使用済み核燃料を町で処分する案には、2016〜17年の調査で住民の64%が反対している。受け入れには、はっきりした限度がある。

一方で、町の2018年版の観光パンフレットに並ぶのは、原発だけではない。1836年に建てられたヴオヨキ荘園、1690年の鐘が残る教会、1480年のラテン語聖書。1853年築の小作農家では、1930年代の暮らしを体験できる。かつて300人以上が暮らした製材所の村は、今は文化の小道として、その跡が紹介されている。

ヴオヨキ荘園の建物の写真
ヴオヨキ荘園(1836年、建築家C.L.エンゲル設計)。写真:kallerna/Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)

この町は、過去を手放さない町でもある。

同じパンフレットには、オルキルオトのビジターセンターも、教会や博物館と並んで載っている。ガイド付きツアーには、核廃棄物処分場の見学も含まれる。町の給水塔の展望台からは、原発が見える。

町が処分場を受け入れた理由を、この姿から説明することはできない。それでも、10万年の記憶を地面の上で抱えることになったのは、500年以上前の聖書を守ってきた町だった。

最後に残った「永久」

そして、この国はもう一つ、退路を断っている。STUKの規則は、どの容器をどこに埋めたかの記録を「恒久的に(pysyvällä tavalla)」保存するよう定めている。期限を区切らない、ということだ。この記事では、それを「永久」と呼ぶ。

時間中身
10万年以上オンカロが閉じ込める期間
約5,000年人類が文字を持ち、最古級の国家が生まれてからの年月
約1,450年現存する世界最古の企業とされる金剛組の歴史(2006年に新会社が事業を継承)
108年独立国家としてのフィンランド(1917年独立)
68年STUKの歴史(前身を含め1958年から)
約30年事業者ポシバ社の歴史(1990年代半ばに設立)
永久埋めた記録を残す期間(STUK規則第29条)

10万年を経験した国家は、ひとつもない。事業者ポシバ社の責任は現在の見込みで2130年ごろまでで、その先は国が引き継ぐ。トゥルク大学の研究者ペトリ・パユ氏は2021年、記録の保存には大まかな指針があるものの、記憶をどう残すかはほとんど検討されていないと指摘し、先送りすべきではないと訴えた。

忘れられても安全なように造ってある。それでも、記録は「永久」に残すと書いた。

私たちはどう考えるか

フィンランドでは、まず国が課題を示し、受け入れる町エウラヨキと話し合いを重ねてきた。エウラヨキは一度は反対したが、対話は続いた。それを支えたのは規制当局への信頼だったと、ユヴァスキュラ大学のリトマネン氏らは指摘している。

核のごみは、原子力を使ってきた社会にとって避けて通れない課題だ。フィンランドはそれに40年向き合い、決定を下した。

10万年。文字が生まれてから約5,000年、エウラヨキの聖書でさえ500年以上だ。人の一生を100年としても、その1,000分の1にすぎない。それでもフィンランドは、その数字を示した。

永久を約束することは、おそらくできない。それでも規則に「永久」と書いたのは、約束ではなく、覚悟を示したのだと思う。

国は期限を切り、費用を先に払い、外に出す道を閉じた。エウラヨキは、拒否できる立場にありながら、話し合ったうえで引き受けた。国と町は、それぞれ退路を断ってきた。その先に、規則の「永久」がある。

(JYUKUTAN 編集部)

出典

#オンカロ#エウラヨキ#フィンランド#探究#社会

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